品川 御殿山
司馬遼太郎さんは、「二代将軍秀忠がここまできて送迎
したから御殿山の名がついたというが、晋作のこの当時は
桜の名所であった」(『世に棲む日日』)と記しています。
坂の下にある案内板では、太田道灌が御殿を構えたこと
に「御殿山」の名前は由来すると書かれていました。
名前の由来はともかく、太田道灌が館を構えて、その後、
徳川家の御殿があったということで理解すれば良さそうです。
しかし、この御殿は焼失して、その後は桜の名所として、
庶民に親しまれました。
幕末、英国公使館の建設中、尊皇攘夷思想であった長州藩
の高杉晋作、井上聞多(井上馨)、伊藤俊輔(伊藤博文)らが
焼き討ちをしました。その後、井上や伊藤は英国に留学し、
思想を変更します。この時点では尊皇攘夷思想だったわけで
す。
伊藤博文はここに邸宅を持ったようで、その後、岩崎家が
それを買い取って作ったのが開東閣です。開東閣は三菱の
倶楽部です。
写真の道は春には桜が見事に咲きます。そばには、御殿山
ヒルズ、ミャンマー大使館、セルビア大使館、原美術館などが
あります。
Good Study 良学舎