川越 喜多院
天海という江戸時代のお坊さんが活躍しました。
徳川家との関係が深く、火事で堂宇が消失した時、
徳川家光が堀田正盛に命じて、江戸城の御殿を
移築しました。そのため、徳川家光生誕の間も
ここに移されました。
もともとは、慈覚大師円仁が、平安時代に創建したお寺です。
1782年(天明2年)から、1825年(文政8年)までの
約50年間に作られたのが、下の写真の五百羅漢です。
1782年と言えば、たいへんな数の餓死者が出た
「天明の飢饉」の始まる年です。田沼意次が失脚し、
松平定信の寛政の改革が、その後始まります。
そして、1825年は異国船打ち払い令が出された年
です。人びとの多くが悲しみ、不安な気持ちになった
であろう時代、工人達はどんな思いで、これらの羅漢様
を彫ったのでしょう。
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