松戸
矢切の渡しはじめ、古くから渡し場として多くの旅人が
通過した町です。
菅原孝標のむすめの作である『更級日記』に出てくる
「まつさと」の渡しとは、松戸のことではないかと言われ
ています。もしそうなら、平安時代には既に松戸は交通路
の要になっていたということになります。
父が任国の上総(現在の千葉県南部)から京都へ帰る
ため、十三歳まで上総で育った主人公が、途中、「まつさと」
で自分の乳母と別れる場面です。
『更級日記』
「 そのつとめてそこをたちて、しもつさの国と武蔵との
境にあるふとゐ川といふがかみの瀬、まつさとのわたり
の津にとまりて、夜ひとよ、舟にてかつがつ物など渡す。
乳母なる人は男などもなくなして、境にて子産みたり
しかば、離れて別にのぼる。いと恋しければ行かまほ
しく思ふに、せうとなる人抱きてゐて行きたり。」
(訳) その翌朝早く出発して、下総の国(千葉県北部)と、
武蔵の国(東京都・埼玉県)の境にある太日川(現
在の江戸川)の上流の「まつさと」という渡し場に泊
まり、一晩中、荷物を少しずつ渡した。私の乳母が
夫とは死別していたが、子どもを生んだので、離れて
京都に上ることになった。私がたいそう恋しいので
乳母に会いたいと思っていると、兄が私を乳母の所
に連れて行ってくれた。
↑訳付き ↑まんが