根来寺
和歌山県の岩出市にあります。
1140年、高野山で対立した覚鑁が根来寺を
開いたとされます。根来寺を中心とする真言宗
を新義真言宗が、その後、展開します。
その後、多くの僧兵を抱え一大勢力になりました。
鉄砲をいち早く取り入れて、戦国期には活躍しまし
たが、1585年、豊臣秀吉によって焼き討ちされ
ました。
国内最大の多宝塔は、この戦乱の中でも破壊を
免れたもので、現在は国宝に指定されています。
『フランシスコ・ザビエル書簡集』
岩波文庫
「 都の大学の外に、尚、有名な学校が五つあって、
その中の四つは、都からほど近い所にあるといふ。
それは、高野、根来寺、比叡山、近江である。どの
学校も、凡そ三千五百人以上の学生を要してゐる
といふ。しかし日本に於て、最も有名で、最も大きい
のは、坂東(関東)であって、都を去ること、最も遠く、
学生の数も遥かに多いといふ。 」
津本陽 『信長の傭兵』
角川文庫
「 根来の覚鑁山をゆるがしていた夏蝉の声も、いつしか
静かに尾を曳くひぐらしの声にかわっていた。
八月も末の根来の野には、薄が白い穂波をゆらせ、
赤とんぼが澄んだなかぞらに浮んでいる。
監物は五月なかばに根来に帰ってのち、昼間は根来
杉ノ坊の覚明のもとで、頭領衆との評定の座に出て、
今後の方針について軍議をおこなう。
根来の諸坊には、およそ八千の僧兵がいるが、常に
諸国大名に傭われてゆき、山内にとどまっているのは、
そのなかばほどの人数であった。 」
根来寺は、信長には加担しましたが、秀吉には抵抗し、
破壊されました。
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