佐倉城跡   
 国立歴史民俗博物館


   佐倉城は、多くの大名が入った城です。
   長くいたのは、堀田氏でした。

   堀田正盛が徳川家光に仕えて出世し、佐倉藩の初代当主
  となります。

   正盛が家光の死に際して殉死すると、その子の正信が跡を
  継ぎました。(ちなみに正盛の墓は品川 東海寺にあるそうです。)

   しかし、正信在任中に佐倉惣五郎の直訴事件が起こります。
  その後、堀田家は改易となってしまいました。

   ところが、正盛の長男・正俊(つまり、正信の兄弟)が幕府内
  で出世していて、その孫の正亮が佐倉に入り、以後、幕末まで
  堀田氏の佐倉藩が続きました。

   幕末の堀田正睦(まさよし)は、阿部正弘の後に老中首座と
  なって活躍する人物です。一橋派と南紀派の対立の中で失脚
  してしまいます。
   堀田正睦は、蘭学好きで有名でした。佐藤泰然という蘭学者
  を呼びました。佐藤は、現在の順天堂大学の基礎となる佐倉順
  天堂を開き、蘭学が盛んになりました。
   「西の長崎、東の佐倉」という言い方もあるそうです。
   
   廃藩置県後、一時、佐倉は印旛県の県庁所在地となりますが、
  県庁舎が置かれることはなく、実際の県庁舎は流山の加村に
  置かれました。

   また、佐倉城には陸軍の連隊が置かれていました。


     写真は、佐倉城の空堀です。
     右手は国立歴史民俗博物館の建物です。
     
  
   国立歴史民俗博物館は、佐倉城の一角にあります。
   考古学、歴史学、民俗学の3つの視点からの分かり易い
  展示で、とても勉強になります。


   品川白煉瓦株式会社の創立者である西村勝三氏が
  佐倉出身ですが、この方のお墓も品川 東海寺にある
  そうです。西村氏は、明治時代に軍靴の製造で事業を
  起こしたり、官営の品川硝子製作所の払い下げを受けた
  りした人物でもあります。

                     Good Study 良学舎