山崎貝塚


   縄文時代の遺跡です。

   当時は、「縄文海進」という海面上昇があったようで、
  奥東京湾というものが現在の関東平野のど真ん中に
  あったそうです。今の江戸川の氾濫原の平地は泥海
  だったのでしょう。そして、台地の縁は海岸線で、人々が
  漁をして生活したのでしょう。
   
   貝塚をよく見てみると、貝殻の他に陶器のかけらも
  見えます。写真に撮ってみましたが、見えますか?

    

   日本は狩猟採集が中心の縄文時代が長かったと言われ
  ます。それは自然の恵みが豊かで、農耕をする必要が
  なかったからだ、という説もあるそうです。

   弥生時代になって本格的に米つくりが始まり、「豊か」
  になったと同時に戦争も始まったという話もあります。
  
   縄文時代の社会はどんなだったのだろう?と想像して
  みると楽しいかもしれません。