関東平野の雑木林、野原
国木田独歩 『武蔵野』
「武蔵野の冬の夜ふけて星斗闌干たる時、星をも吹き落とし
そうな野分がすさまじく林をわたる音を、自分はしばしば日記
に書いた。風の音は人の思いを遠くに誘う。自分はこの物す
ごい風の音のたちまち近くたちまち遠きを聞きては、遠い昔
からの武蔵野の生活を思いつづけた事もある。」
このページの写真は千葉県の流山市にある流山おおたかの森
付近のものです。
この本を読めば、独歩は「武蔵野」を厳格に定義づけていること
がわかります。独歩は単に原野や山林の美を賞賛しているのでは
ありません。「林と野とがかくもよく入り乱れて、生活と自然とがこの
ように密接しているところがどこにあるか」と「武蔵野」の独自性を
強調しています。
ですから、私が安易に「武蔵野」を下総台地の林に比較すること
にも注意が必要です。
実際、武蔵野の台地と下総台地は地質学的には異なる点が幾つ
もあるようですし、また、それ以外にも違いはあると思います。
しかし、林と、林をわたる風の音についての独歩の文章を読む時、
私は下総台地の上の雑木林を重ねて読んでしまいます。
流山市松ヶ丘の住宅街にはところどころ雑木林が残してあり、美しい
景観となっています。東葛飾地域の各地にこういう美しい雑木林が残
っています。
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司馬遼太郎 『箱根の坂』
「 古来、都びとが作歌の上でおどろいてきたように、ここは一国おしな
べて野であり、月が草から出る。早雲も感動をあらたにし、
武蔵野や
行けども秋の
涯もなき
いかなる風の
末に吹くらむ
などと馬上、心おぼえの古歌を諷誦しつつ、涯もなき秋の風のゆくえを
地のかなたに眺めたりした。
この時代、武蔵の田畑はよほど耕やされてはいるものの、それでも
ところどころ荒蕪の野がのこされている。丘ともみえぬ高みなどに疎林
が点在し、また百姓屋敷ごとに屋敷林がかこんでいる。このひろさのなか
で目をとめるものといえば、それくらいのもので、山河の錯綜した五畿内
や伊豆のような山国になじんだ目からみると、ふと心もとなくなる。」
長い引用になりました。『箱根の坂』は北条早雲を主人公とした作品です。
京都の伊勢氏の一族であった「伊勢新九郎」が、「妹」の千萱との関係によ
って、今川氏の客将になって駿河に入り、やがて伊豆から関東に侵入する
という物語です。北条早雲の生涯は不明な点があるので、司馬さんが想像
して描いている部分が多いわけです。引用した箇所は、大阪出身の司馬さん
自身が関東の風土に感じたことなのだろうと感じました。
「関東には山が無いので驚いた」と、私が学生の頃の友人が言っていまし
たが、関東に生まれ育った私にはピンと来ないことでした。日本の他の地域
を見ると、関東のように山の少ないところのほうが珍しいようです。
「武蔵野や〜」の古歌は、新古今和歌集にある源通光の歌のようです。
源通光自身が、武蔵野を歩いていたのかどうかはわかりませんが、関東平野
の広さは、都の人にとって感慨を覚える対象だったということがうかがえます。
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